新国際空手道連盟
芦原會館岐阜支部

【岐阜支部モットー】
人知れず コツコツ地道が
いつか花を咲かせて 実を結ぶ


【岐阜支部の目標】
総本部が捌きの総本山ならば、
岐阜支部は捌きの奥の院を目指す

道場一覧

可児道場
〒509-0242 岐阜県岐阜県可児市谷迫間806-2 可児青少年育成センター錬成館
稽古日;毎週火曜日、金曜日  19:30~21:30
美濃太田道場
岐阜県美濃加茂市太田町1916-1 美濃加茂市中央体育館プラザちゅうたい
稽古日;毎週日曜日  15:00~17:00
飛騨高山道場
岐阜県高山市中山町600 飛騨高山ビッグアリーナ
稽古日;不定期
リニア東美濃道場
岐阜県恵那市山岡町下手向33-1 山岡B&G海洋センター
稽古日;不定期
オンライン道場

リアル道場から遠隔地在中の場合は、オンラインによるリモート稽古で対応
美濃太田道場
岐阜県美濃加茂市太田町1916-1 美濃加茂市中央体育館プラザちゅうたい
稽古日;毎週日曜日  15:00~17:00

会費

会費 一般5,000円/月 少年(中学生以下)3,500円 【令和2年10月入会以降】
<リアル道場>可児道場・美濃太田道場・飛騨高山道場・リニア東美濃道場
<オンライン道場>リアル道場から遠隔地在住の場合は、オンラインによるリモート稽古で対応
新国際空手道連盟芦原会館岐阜支部 動画配信
<岐阜支部の運営理念> 芦原英幸先代館長が提唱された「誰にもできる空手」を起点に、生涯捌道(しょうがいさばきどう)として、「誰もが続けられる空手」の進化に向けて精進し、芦原英典現館長の提唱される、芦原空手の極みである品格ある捌きを後世代に受け継ぎ伝え続ける「捌軌相伝(さばきそうでん)」に貢献する運営を展開する。

渡邉師範代
【渡邉師範代略歴】    
 昭和35年2月   岐阜県美美濃加茂市で出生
   昭和53年4月   愛媛大学空手道部入部  
        芦原先代館長に師事
 昭和57年4月   岐阜県可児市役所入庁  
      昭和60年4月   芦原會館総本部公認の岐阜同好会設立
   平成5年3月15日    芦原先代館長より岐阜支部認可、
     同支部長拝命
 平成27年4月12日   芦原現館長より師範代拝命 
   令和2年3月   可児市役所定年退職       
            (最終補職歴 観光経済部長)
  令和2年5月   渡邉総合事務所開設  
            (行政書士、宅地建物取引士)

                         現 在     愛媛大学空手道部OB会事務局長

               愛媛大学空手道部HP 
大学空手道部後輩の稲葉氏(左/三重支部)と芦原館長を囲んで
岐阜支部道場生は、大半が社会の第一線を担うシニア道場生たちばかりですから、 
芦原空手の基本理念の筆頭にある「より安全に」が尊いのです。怪我の発生率の高い稽古は、
社会貢献する私たちにはナンセンスなのです。相手を倒すためのカウンター攻撃に至るまでに、
相手の身体に、突きや蹴りの攻撃でダメージを加えられるような稽古体系は、明日の本業に支障がでます。

芦原空手の基本理念

岐阜支部の運営理念

芦原英幸先代館長が提唱された「誰にもできる空手」を起点に、生涯捌道(しょうがいさばきどう)として、
「誰もが続けられる空手」の進化に向けて精進し、芦原英典現館長の提唱される、芦原空手の極みである品格
ある捌きを後世代に受け継ぎ伝え続ける「捌軌相伝(さばきそうでん)」に寄与する運営を展開してまいります
岐阜支部は、社会の第一線を担うシニアのサバキスト(捌道を精進する道場生)に寄り添い、
芦原空手を通じて社会貢献のための元気をチャージしていきます
生涯捌道(しょうがいさばきどう)とは・・・

捌きの普段の稽古のコア(究極の目標)は、自分の制空権に、相手の「一撃」が入ってきた場合に、その攻撃をスル―する(見過ごす)ことなく「必ず捌く」ことにある。

すなわち、「一撃必捌(いちげきひつばつ)」の理念を、瞬間捌き(=流し、崩し、倒しの捌きの一連の局面を限りなく一挙動に収れんさせる)で実現できるように、先代館長が提唱された「誰にでもできる空手」 から 「誰もが続けられる空手」、すなわち「生涯捌道」として怪我なく生涯にわたり捌道に精進することにある。

流し崩しは、相手に攻撃を加えて痛めながら倒したり、相手の攻撃のインパクトを決してブロックしたりカットしながら相手の攻撃ベクトルを変えことなく、なるだけ、攻撃したいという相手の気持ちに寄り添いながら、その攻撃のインパクトをステップで流して、フォロースルーを受け等で崩して、カウンター攻撃で倒して、という捌きの究極のスタイルであり、「誰もが続けられる空手」である。

先代館長の声が聴こえる・・・
天から先代館長の声が聴こえる・・・「渡邉、いつまで道場生にブロックやストッピングをやらせとるんや?仮にうまくやれても、相手の足を痛めたり、失敗したらお互いの膝の衝突等で大きなダメージを受けると、シニアはじめ仕事をもった社会人のおっさんらはすぐに道場を辞めるぞ! 娑婆の第一線の営業マンが稽古の怪我で足を引きずりながら営業するのは本末転倒やけん!」
捌きは、「形」から入るのではなく、「理念」から入る。
すなわち捌きの理念の明瞭な言語化であり、捌きの3つの局面 ⇒ ①流し(ステップ、ウィービング等により攻撃を流す) ②崩し(受け等により、相手の体軸のバランスを崩す) ③倒し(カウンター攻撃又は制圧)の流「し」、崩「し」、倒「し」の3「し」の神器である。これにはまらない捌きのスキルは、イレギュラーなスキルにすぎない。その前提は、捌きに先手なし、先手が必ず負ける(「先手必負」)である。
空手の捌きは、ムリ、ムダ、ムラを無くした合理的な動きである。
ムリとは、相手と真正面からぶつかる無理をすること。 ムダとは、余計な間合い、攻撃、ステップをすること。 ムラとは、ムリやムダが混在していること。

 以上は、人生の捌きに直結する。人生の捌き(=仕事を含む社会貢献)に直結していない空手のそれは、本物の捌きではない。生涯を通じて、空手を含む人生の捌きを究めていくのが、「生涯捌道」である。人生の捌きの究極は、たとえ相手が攻撃する気持をもっていても、失せてしまうような雰囲気(=風韻)である。相手の立場に立って、その心境を思いやり、戦いを略(はぶ)く、それが戦略である。すなわち、「戦わずして勝つ」のではなく、「戦わずして和する」のである。

空手道場の捌きの黒帯が、社会人の黒帯をとれないのは矛盾そのものである。捌くのは、空手の相手だけではない、仕事を捌く、スケジュールを捌く、人間関係を捌く・・・・・。捌きは日常生活の生き方そのものである。
「捌き」とは、「手偏に別(わ)ける」と書く、すなわち手で捌くこと。

手を握って拳をつくるのは、捌道の自殺行為である。相手の動き(ベクトル)を柔らかく流す、相手の動きに逆らわない、相手の動きに寄り添う、相手の攻撃に逆らわないで、むしろその動きの方向に加担して、相手の体軸のバランスを崩し(流し崩し)、相手の動きにギリギリまで退かないで(見切り)、又は相手の体に寄り添って体幹の軸と一体化して(密着)、相手の体の軸が不覚にも崩れたところをカウンターで攻撃(突き、蹴り)するのが表の捌き、そこを怪我のないように相手を気遣いながら柔らかく投げて、相手に謙虚に負けを認めさせる(制圧)のが裏の捌き。

 日本刀で言えば、刃で斬ること(表の捌き)と峰打ち(裏の捌き)の表裏一体の関係である。

武道の本質は、攻撃したいという相手の気持ちに寄り添うこと、すなわち「愛」である。
「武」とは、人を倒すこと、究極は殺すことである。「武道」とは、武をもって人の道を究めること、人を生かすことである。すなわち、殺すことの対極である。武術は、武のスキルの追求にほかならない。人の道の究極は愛である。捌きは、表の捌きの武を以って、人を殺(あや)めることのないように、裏の捌き(制圧)が表の捌きと表裏一体をなしている。
一撃で倒せないからと、相手の肉体を痛め続けながら倒すことに、何の価値があるか。それは、ただの野蛮主義である。
相手を倒そうと思えば、カウンターの一撃で倒せるが、相手にダメージを与えないで、制圧もできる武道の精華が、捌きである。受け等で相手が崩れるのを相乗させているのが、相手の体重である。相手の身体にダメージを与えて、相手の肉体を痛ませながら崩していくのではなく、相手の体重を利用しながら崩すのである。そして、捌きは「後の先」である。それは、先代館長のつくられた型の全てが、相手の攻撃からスタートしているのが証左である。
捌きの本質

「抑止力」(武道)⇒後の先(=先手必勝に非ず、先手必負、先手した方が必ず負ける)
「日常生活力」(人生)⇒仕事や人間関係の捌き

※呼吸は、攻撃は吐く。捌きの3局面のうち、流し、崩しは吸う。 
※仕事は、スピード、タイミング、リズムで捌く。
 力は抜きどころ(脱力)と力を入れるタイミングが肝要。                                
※人間関係は、相手の呼吸に合わせる。相手が吐けば吸う、吸えば吐く。
※物事(課題・問題)は、真正面だけ見て表面的に判断しない。
 サイドに立つと、その奥行きがわかるから、立体的に把握できて段取りが組める。

捌きの3つの前提
1スピード 2タイミング 3リズム ⇒ 実社会生活を営む上で、重要で必要な要素に他ならない。
流し
ステップ、ウィービング等により攻撃を流す。
崩し

体軸の重心が不安定になるようにすること・前崩し・後ろ崩し・下崩し・ねじり崩し・浮き崩し

崩しの手段の3パターン
1:(手の)受け  2:(足の)合わせ  3:攻撃

※(足の)合わせ・・関係部位を蹴り込むのではなく、相手の重心移動のタイミングを図って相手の密着部に合わせて崩す ①膝裏関節踏み込み ②ヒッカケ ③軸足流し崩し ④蹴り足着地直前の合わせ 

捌きは、「形」から入るのではなく、「理念」から入る。
すなわち捌きの理念の明瞭な言語化であり、捌きの3つの局面 ⇒ ①流し(ステップ、ウィービング等により攻撃を流す) ②崩し(受け等により、相手の体軸のバランスを崩す) ③倒し(カウンター攻撃又は制圧)の流「し」、崩「し」、倒「し」の3「し」の神器である。これにはまらない捌きのスキルは、イレギュラーなスキルにすぎない。その前提は、捌きに先手なし、先手が必ず負ける(「先手必負」)である。
倒し

カウンター攻撃は表(メイン)の捌き、制圧は裏(サブ)の捌き

流し崩し

・シンプル(単純な挙動)のS                          
・スピーディー(瞬間的に捌く)のS、       
・セーフティ(相手を傷めない、過度なダメージを与えない)のS

 以上の「3つのS」を重視した捌きのスタイル。

相手の脳が攻撃意識から防御意識に切り替わらないように、相手が攻撃したいという気持ち(攻撃意識)に寄り添って、攻撃のベクトルを変えないままステップで流して、受け等により攻撃のベクトルに加担するあまり、相手が体軸を崩したところへ、カウンター攻撃(=表の捌き)し、引き続き、制圧する(=裏の捌き)倒しへ繋げる一連の挙動である捌きの最もコアな部分をいう。(表裏一体の捌き)
相手の攻撃の途中にカットやブロックをすると、脳は相手を攻撃したと錯覚して、次の攻撃態勢に移る。しかし、攻撃のヒットポイントとして当初予測した当たるべきポイントに当たらないと、脳の攻撃意識は一瞬戸惑うのが、「居着き」となる。この瞬間を受け等で体軸を崩して、カウンターの攻撃につなげていく。
防御意識の薄い相手を崩した後のカウンターの攻撃のインパクトは絶大である。従って、否が応でも顔面ガードの癖付けができないといけないし、こうした稽古を積み重ねれば、自ずと顔面ガードの癖付けができるようになる。

流し崩し型
真正面から挑むのではなくて、自身は相手の攻撃を流しながら、相手にカウンター攻撃を加えるという先代の喧嘩カラテの原点に戻りながらも、生涯捌道が全うできるよう可能な限り安全性を組み込んだ設計をしているのが、流し崩しの型である。
気合とは
心身ともに鉛直方向(重力の方向)へ重心を整えながら(=精神を集中させながら)、インパクトの瞬間だけ力を入れること。ピノキオの操り人形のように天上から
頭頂をピアノ線で吊り下げられたイメージで、体軸以外の身体を脱力状態にする。決して 大きな声を張り上げたり、力むことが気合ではない。
防具は
体のセンサーを鈍感にさせるだけ。インパクトゾーンを数センチで流す繊細さが失われる。そもそも、防具をつけないといけないような怪我を前提とした稽古体系自体に本質的な問題がある。
40年前からの先代館長の御指導の墨守
① 絶えず顔面ガード
(従来のフルコンスタイルが連続突き、蹴りのラッシュで相手に向かって突進していけるのは、相手からの顔面パンチを想定していないから。)
②ステップワーク(特にサイドステップ)※サイドステップで、相手の攻撃を流しながら、正面から見えなかった相手の奥行と全体の動きを把握し、インステップで、間合いを詰めて、体軸のパワーの乗った攻撃や投げにつなげていく。
(注)ステップバックは自身の次の攻撃のためという指導があるが、自身がステップバックすれば、相手は更にインステップで踏み込み、攻撃の勢いを増すだけ。ステップバックではなく、相手の突進のベクトルとぶつからないサイドステップを使う。
③組手は、先輩が後輩を捌く・・・従来の組手スタイルは不可

捌道共錬会
普段の稽古の延長線上の双方の流し崩しの実践による、攻め手と捌き手を交代しながら「共」に捌きを「錬」磨しあう試合形式のこと。
上記先代館長御指導③の発展的取組み
重力と相手の気持ちに寄り添える者は、武道を制する。
①流し崩しの型の中で、重力に寄り添った捌きの挙動
 ・刺す又投げ ・三点決め ・合わせ崩し ・逆ヒジ決め
②相手の気持ちに寄り添うとは、相手の攻撃(吐く息)を邪魔しない(吸う息)こと。
 すなわち、相手の呼吸に合わせること。
攻撃モードは息を吐く 防御モードは息を吸う
捌きの「流し」と「崩し」は息を吸い、「倒し」は攻撃モードだから息を吐く。相手が吐くときには自分が吸い、相手が吸うとき自分は吐くというように、相手の呼吸に合わせる。
息を吐くときは「攻撃モード」だから、防御意識は希薄となり、攻撃で体軸の自然体の重心バランスが維持できないので、体軸が不安定となり、隙を生じやすい。息を吸うときは「防御モード」だから、体軸の自然体の重心バランスを維持できて、隙をつくらないから攻撃を受けにくい。
捌きの「流し」と「崩し」の局面は息を吸う「防御モード」。従って、ストッピングや膝ブロックは、攻撃の変形(前蹴り又は膝蹴り)だから、息を吐く「攻撃モード」になっているから、「崩し」よりも息を吐く「倒し」の局面にあるので、
崩すより倒すテクニックである。したがって、捌きのテクニックでは、あくまでイレギュラーな崩しである。
(例)相手の吐く息の突きには、吸う息で、流して、崩して、息を吐きながらカウンターの突きで倒し、相手が突いた拳を相手が息を吸いながら引くタイミングに合わせて、息を吐きながらインステップして裏投げで倒す。
「守る」とは、進化すること。進化するから、「捌きの本質」が守れるのだ。
もし、先代の芦原先生がご存命なら、「お前たち高弟は、いつまで俺が昔出したテキストの内容を墨守することにこだわっているのだ。俺はもっと、もっと先を行ってるよ。」とおっしゃっておられるに違いない。
「合理空手」から「情理空手」へ   「先手必勝」から「先手必敗」へ
先手必勝の合理性を追求するのは、隙を生みやすい先手攻撃(すなわち、攻撃とは自ら隙を生むこと)は不利となる先手必負の空手を追求ことにほかならない。
相手の気持ち(情)に寄り添いながら、理にかなった動きを絡ませる、すなわち情理を尽くした空手を追求していく。
流し崩し型
真正面から挑むのではなくて、自身は相手の攻撃を流しながら、相手にカウンター攻撃を加えるという先代の喧嘩カラテの原点に戻りながらも、生涯捌道が全うできるよう可能な限り安全性を組み込んだ設計をしているのが、流し崩しの型である。

三戦立ちの極意

◎正三角形の重心の真上に丹田を合わせると、体軸が一番安定する。

伝統流、芦原を含むフルコン系に関わらず、「三戦立ち」は、空手道を志す者にとっては、コンピューターに例えれば、OSのような位置づけにある。あとの技術はアプリケーションソフトみたいなものである。

この立ち方で、型の「三戦」を真に習得し、継続すれば、生涯武道の精華を実践していくこととらえても過言ではない。もちろん、その根底には、「息吹」という重要なファクターがある。

 芦原でも、基本はこの立ち方であるが、空手を学び始めて40年以上を費やしている。この40年間、どういう足と体幹のポジションをとれば、最も安定した立ち方になるか、試行錯誤して、体得した知見は、両足を正三角形の形状の一部に位置させて、その正三角形の重心と臍下丹田の位置を合わせると、一番体軸が安定することである。

 この知見はあくまで経験知だが、いずれ物理学的な科学的検証で実証されることを確信している。

 空手とは、「空」の「手」である。空っぽの手で40年以上かけて掴んだものが、これである。

【渡辺師範代語録】

風 韻
プロレスラーにわざわざ喧嘩を売るバカはいない。これは彼のいかつい風貌が成せる業。
一方で、内から凛とした雰囲気と寸分の隙の無さを醸しながらも、自然体で穏やかで柔和な佇まいにより、相手が攻撃する気持ちさえ失せてしまうような雰囲気が、「風韻」である。 
風貌は道場の稽古でも身につくが、「風韻」は、稽古であろうが仕事、読書、普段の日常生活であろうが他人の見ていないところであろうが、すべてが修行、すなわちどんな人生の局面でも凄味を出せる気構えと行動を伴う全一(いざというときは、心、体、魂の丸ごとを投企できるようにする)の修行が無ければ身に付かない。

個人だけではなく、国家の理想的な立ち位置でも同様である。
全一で生まれる凄味によって醸し出された余裕が「風韻」をつくる。
真の「サムライ」とはこういうことである。



新国際空手道連盟芦原會館岐阜支部

渡邉 師範代
岐阜支部事務所;〒505-0036
        岐阜県美濃加茂市山手町3丁目13−1
        (行政事務所渡邉達也事務所<渡邉総合事務所内>)
TEL : 09076088454